第2次世界大戦前後の国鉄技術文化―鉄道車両用台車振動研究史の再検討を通じて―

映画「風立ちぬ」の主人公である堀越二郎は戦後も航空機開発に従事し、国産旅客機であるYS-11の設計にも携わります。一方で、戦前は航空機の開発に携わりながらも、戦後は鉄道技術開発に活躍の場を移した技術者達がいました。前回の記事で取り上げた松平靖らがその筆頭にあたります。彼らの鉄道技術開発への参画は国鉄における「技術文化」に何をもたらしたのでしょうか?



佐藤靖「第2次世界大戦前後の国鉄技術文化:鉄道車両用台車振動研究史の再検討を通じて」『科学史研究』46(244), 2007, pp.209-219
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  • 国鉄・鉄道技術研究所における研究の実態


研究所の歴史は、1907年に帝国鉄道庁に設置された鉄道調査所にさかのぼります。昭和期に入り、工学分野で博士号取得者が出てくるようになり学術研究としての水準も高まりますが、鉄道車両に関する実質的な技術開発を行っていたのは鉄道省の工作局でした。研究所においては実際の設計に貢献する、あるいは革新的な変化をもたらすような研究は志向されず、むしろ現有車両・現有システムに対する後付けの説明ともいえる理論の精緻化・複雑化が展開されていました。そもそも、当時鉄道省の実権を握っていた運転局には経済性や安定性を重視し現存するシステムの現状維持を目指す傾向が強くありました。研究所で振動研究に従事していた武蔵倉治といった人々もまた運転局の保守的な姿勢に通じる研究姿勢を保ち、設計の大規模な改変や技術開発については消極的であったと筆者は指摘します。


  • 海軍航空技術者の流入国鉄技術文化の変化


戦前・戦中における国鉄の鉄道技術開発文化は前述のように保守的なものでしたが、ここに風穴を空けたのが海軍で航空機の開発に従事していた技術者達の流入でした。松平靖(その航空機・鉄道に関する振動研究についての本人の回想はここを参照)のような海軍系の技術者達は戦争に対応するための技術開発と実地検証を短期のサイクルで繰り返し、実地に適用できる技術的知見の生産を目指す傾向をもっていました。


そのような技術者達の参画に呼応して、工作局出身で高速鉄道建設の野望を持っていた島秀雄が動きます。島の主導で1946年に第1回が開催された「高速台車振動研究会」では、学問的に高度な理論を用いつつも実用的な成果が目指されました。全6回が開催された研究会の成果は、例えば1950年に運転を開始した湘南電車における台車に活かされ、振動軽減と乗り心地の改善が達成されます。海軍航空技術者の鉄道技術開発への参入は国鉄における保守的な技術文化を実際的・創造的なものに変え、その後の高速長距離鉄道開発に大きく貢献することになったのです。


  • 技術文化の連続性・非連続性


大戦前後を対象とする日本技術史の歴史記述には大戦前後の連続性を強調するもの(例えばテクノナショナリズム等)と大戦前後での変化を強調するもの(例えば和魂に代わるものとしての技術における革新の追求)のがあると筆者は指摘し、本論文で扱われている振動研究分野における技術文化の変遷は後者の「非連続性」に分類される事象であると措定します。そして、日本技術史を研究する上では「第二次大戦を境とした連続性・非連続性」を論点とした研究を積み重ねていく必要があるとの展望を述べています。



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