Shut up and calculate !

Nature誌が第1次世界大戦勃発から100年、第2次世界大戦勃発から75年を契機として、戦争と科学に関する論考を断続的に掲載していくようです(参考記事:http://www.nature.com/news/conflict-of-interest-1.14470)。まず公開された二つの論考のうち、David Kaiserによるものを紹介したいと思います。第二次世界大戦アメリカの物理学研究にどのような影響を与えたのでしょうか?


Kaiser, "Shut up and calculate", Nature(Comment), Vol.505, p153-155 (2014)
ここからDL可)

  • 戦争、そして巨大化する科学


アメリカにおける研究開発は、第二次大戦以前は民間の寄付や学費を原資としたものが主流でした。これに大きな変化がもたらされた状況を、筆者は物理学をベースとしたレーダー開発・原爆開発を事例として概説しています。レーダー開発については終戦までに200億ドル(現在換算)、原爆開発については250億ドル(現在換算)の巨費が投じられ、その合計はアメリカの戦費の1%に及ぶものでした。研究者の動員も大規模にわたり、物理学、化学等を初めとする多様な分野の学者が戦争に勝利するための科学技術開発という共通の目的に向かってチームとして取り組んでいったのです。


そこでは純粋かつ自由な好奇心に基づく「科学」はありませんでした。動員された科学者達は「Shut up and calculate !」という号令のもとに、結果だけを求めて研究開発に邁進していったのです。

  • 戦後への影響


本論考の主要な論点は、①研究を推進する制度②研究を進める方向性・手法について戦前戦中期にもたらされた変化は戦後も持続していたということであると思われます。


①については、戦前は国家、特に防衛部門からの基礎科学へのファンディングは皆無に等しかったにも関わらず、戦後は基礎研究の多くが国家(防衛機関)によって支援されるのが当たり前になったのです。1949年の段階で、アメリカにおける物理学の基礎研究に対するファンディングの96%は防衛関連機関からの支出でした。国家による戦争中の大規模な金銭的支援は、戦争が終結しても当たり前のものとなっていったのです。


また②についても、戦時中に「戦争に資する」という目的のために分野を超えて協同した科学者たちは、戦後もその方法を引きずっていったと指摘されます。例えば物理学者Julian Schwingerは、理想化された状態にのみ適用可能な精緻な誘導を過程重視で行うことを重視していましたが、共に働いた技術者達がプロセスよりも結果を重視し最大限の効率性を追求していることに大きな影響を受けます。このような、筆者の言葉で言う「pragmatic」な方向性への研究目的・手法の変化は、戦後も持続しました。Schwingerはマクスウェル方程式を用いた複雑な計算で電気抵抗率を積算していくという過程重視の方法よりも、各過程をブラックボックス化して最初のインプットから最後のアウトプットを簡便に導きだすという意味での研究成果を追求する事になります。


このような物理学の実用的傾向は戦後のPh.D取得者数にも影響を与えました。1960年代中葉までに、アメリカにおける物理学博士号取得者の4分の3は原子核物理学や物性物理学といった「pragmatic」な分野に偏るという傾向があったと筆者は指摘します。戦争でもたらされた実用性重視という変化は、研究の内実にすら影響を与えて戦後も持続したのです。

  • 「物理学」への回帰


しかしこのような変化は、トレードオフを内包していました。実用的な側面を重視するという方向性は、一方で物理学がそれまで持っていたphilosophicalな視点を失わせる事になったと筆者は指摘します。宇宙の誕生、複雑系における秩序と無秩序、量子論といった「大いなる課題」に対して取り組むことが少なくなっていったのです。このような「大いなる課題」への回帰が見られるようになっていくのは1960年代後半以降、ベトナム戦争後の財政赤字や科学の軍事貢献への懐疑が現れ始めたころです。


筆者は、戦争によってもたらされた制度(国家による科学に対する財政支援)は依然として強固に持続しており、それに基づく「実用的な」成果も出続けているのは確かであるとする一方、「自然の理を明らかにする」ことを目的としたphilosophicalなアプローチも復権しつつあると結んでいます。


論考中に明示的に書かれている訳ではありませんが、筆者は単に戦争中に科学がいかに動員されたかという視点だけでなく、そのような動員・変化のもたらした影響のうち何が残って何が残らなかったのかをより精緻に分析していく視点も重要であると指摘している様に思えます。



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