近代化を抱擁する温泉―大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割―

大正期のラジウム温泉ブーム、そこでは勃興期の放射線医学が大きな役割を果たしていました。しかしその構図は単に「近代科学としての医学が温泉の効能に裏付けを与えていった」という一方向的なものではありませんでした。近代日本において西洋由来の科学知識と日本古来の温泉信仰が接触する中で、温泉という生活実践の場においてどのような相互作用が生じていたのでしょうか?


中尾麻伊香「近代化を抱擁する温泉―大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割―」『科学史研究』52, 2013, pp187-199



そもそも日本において、温泉の効能は神の霊験によるものだと考えられていました。江戸期には本草学の影響もあり温泉の効能について「医学的な」説明がなされていく様になります。そして明治期に入り、科学的手法による鉱泉の測定・分類が行われていきます。その端緒を担ったのは政府各機関で働いていたお雇い外国人たちでした。日本の温泉が湯治場(江戸期)から観光地(明治・大正期)へと転換していく過程で近代医学は顧みられなくなっていった、というのが温泉の歴史における通説でしたが、筆者は、ラジウム温泉を例にとれば、温泉の観光地化に近代医学が積極的な役割を果たしていた側面もあると指摘します。


日本の温泉においてラジウムが見いだされ、その効能を指摘されるにあたって大きな役割を果たしたのは、東京帝国大学の眞鍋嘉一郎(医者)と石谷伝市郎(地質学者)の2人でした。1903年田中館愛橘が欧州からラジウムを持ち帰ったこともあり、放射能研究が様々な研究者の間で関心を呼んでいた中で、温泉をフィールドにラジウム研究を行おうとしたのがこの両名だったのです。


1910年の『東京医事新誌』への温泉ラジウム研究論文の投稿を皮切りに、両名による調査に加えて国家機関による温泉の放射線測定が活発化します。1915年には陸軍軍医団も全国主要温泉のラドン含有量調査を行うに至り、森林太郎森鴎外)編集の冊子『日本鉱泉ラヂウムエマナチオン含有量表』が発行されます。ラジウムの効能に着目した各国家機関による調査も活発に行われていったのです。


そのような調査活動によるラジウムの発見と効能の指摘は、社会におけるラジウムブームを引き起こすこともつながりました。ラジウムブームにいち早く乗じた温泉地・熱海は、ラジウム発見の背景にある最先端の科学としての放射線医学のイメージと共鳴するかのように、モダンな建物を次々と建設して上流階級の遊楽地としての地位を確立していきます。最初期にラジウムが発見された温泉地・熱海は、モダンな温泉地として知られており、ラジウム発見の背景にある最先端の科学としての放射線医学のイメージと共鳴していきました。また東京・京橋にはラヂウム樂養館というモダンなイメージを前面に押し出した施設が出現し、ラジウムブームはラジウムが持つ実際の効能と乖離するかの様にそのイメージを増幅させていきました。

  • 科学の受容、そして新たなる伝統の創出―飯坂温泉を事例として


放射線医学という近代科学はラジウムの発見を通じ、ラジウムブームという形で温泉の観光地化に一定の役割を果たしていました。と同時に、放射線医学に基づくラジウムの発見は、各温泉において様々な形で受容されていきました。筆者は福島県飯坂温泉を事例として、ラジウム発見を通じた「新たな伝統の創出」を描くことで、ラジウムをめぐる一連の過程が単なる近代科学の直線的な受容ではなかったことを指摘します。


鉄道院が1911年に出版した『飯坂温泉案内』では、医学的な見地からラジウムの効能が記述されています。そこには前出の眞鍋らの研究成果も引用され、ラジウムの効能を証するにあたって医学者の言説が重視されていた事がうかがえます。しかしその後に出版された他の案内書においては、医学的な見地にとどまらない様々な解説が付されていきます。1913年に出版された橘内文七による『温泉案内飯坂と湯野』においては、ラジウムは飯坂固有の「精霊なる一種元素」として位置づけられます。


1927年に出版された『飯坂湯野温泉遊覧案内』では、「春は全体櫻花に包まれ、梨花に覆われ、桃花に飾られ(中略)斯の如きは海内は固より未だ全世界に多く其の比を見ざる所にして正さにラヂウユーム、エマナチオンの作用する所、實に我が飯坂温泉独特固有の美装である」と記述されています。ラジウムに関する言説は医学的見地に基づく説明を離れ、飯坂の地に根付いた「精霊としてのラジウム」が景観にすら影響を及ぼしているとまで語る様になっていきました。


以上のように、飯坂の温泉案内書においてラジウムは伝承の中に組み込まれていきました。近代科学としての放射線医学は一方向的に受容されただけでなく、温泉地というcontact zoneにおいて温泉地固有の文脈のもとで解釈された上で、温泉地発展を欲する地方の社会経済的背景の中で繰り返し用いられていったのです。筆者は、そのような過程で放射線医学の知見の成果としてのラジウム「抱擁した」温泉の歴史は、福島の原子力ムラにおいて「原子力最中」や「回転寿しアトム」といったブランド・文化を作り上げることで原子力を「抱擁」していった過程とも軌を一にすると指摘しています。



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