映画『杉原千畝』

「1934年、満洲満洲国外交部で働く杉原千畝唐沢寿明)は、堪能なロシア語と独自の諜報網を駆使し、ソ連から北満鉄道の経営権を買い取る交渉を有利に進めるための情報を集めていた。翌年、千畝の収集した情報のおかげで北満鉄道譲渡交渉は、当初のソ連の要求額6億2千5百万円から1億4千万円まで引き下げさせることに成功した。しかし、情報収集のための協力要請をしていた関東軍の裏切りにより、ともに諜報活動を行っていた仲間たちを失い、千畝は失意のうちに日本へ帰国する。


満洲から帰国後、外務省で働いていた千畝は、友人の妹であった幸子(小雪)と出会い、結婚。そして、念願の在モスクワ日本大使館への赴任をまぢかに控えていた。ところが、ソ連は千畝に【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】を発動。北満鉄道譲渡交渉の際、千畝のインテリジェンス・オフィサーとしての能力の高さを知ったソ連が警戒し、千畝の入国を拒否したのだ。


1939年、リトアニアカウナス。外務省は、混迷を極めるヨーロッパ情勢を知る上で最適の地、リトアニアに領事館を開設し、その責任者となることを千畝に命じた。そこで千畝は新たな相棒ペシュと一大諜報網を構築し、ヨーロッパ情勢を分析して日本に発信し続けていた。やがてドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、ナチスに迫害され国を追われた多くのユダヤ難民が、カウナスの日本領事館へヴィザを求めてやって来た。必死に助けを乞う難民たちの数は日に日に増していく。日本政府からの了承が取れないまま、千畝は自らの危険を顧みず、独断で難民たちに日本通過ヴィザを発給することを決断する―」


映画『杉原千畝』公式ウェブサイトは→http://www.sugihara-chiune.jp/


(以下ネタバレあり)


私個人が杉原千畝のことを知ったのは小学生の時、『約束の国への長い旅』という本を読んでからだった。当時は外務省による名誉回復がなされる前で、世間的には今ほど知られてはいなかったように思う。2000年に名誉回復がなされて以降、杉原の様々な側面に着目した書物が多く出版された。私自身は「かつて応援していたマイナーなアイドルが紅白の桧舞台にデビューしてしまった」みたいなちょっと寂しい気持ちもある。ついでに言うと、「戦時中の日本には『いいこと』をやった人『も』いた」と保守層が溜飲を下げるために消費されてる感もあるくらいだ。


一言で感想を述べるなら、日本には「シンドラーのリスト」は必要とされていないし、日本映画界にそれを作る気もなさそうだなというところか。全体の構成は、満州で諜報活動に邁進していた時代→リトアニアユダヤ難民にビザ発給→東プロイセンで諜報活動に従事し敗戦、帰国という形になっている。前段と後段が冒険活劇で、中段がヒューマンストーリーというなんとも微妙な流れだった。


人道上の見地からユダヤ難民を救ったビザ発給で知られる杉原が、多言語を使いこなす情報戦に長けた有能な外交官でもあったことは、彼という人間を描く上で触れざるを得なかったのかもしれない。であるがゆえに、この映画は『シンドラーのリスト』に代表される戦中ユダヤ物映画とは異なる立ち位置の映画なのだと思う。ナチスをぼこぼこにしたり、ナチスからユダヤ人を救ったり、ナチスから(ryな映画は欧米で量産されてきた印象があるのだが、それはやはり需要あってのこと。この映画をビザ発給に焦点を絞って作ることは市場的に厳しく、かつ「杉原という人間を描く」という趣旨に沿わないものだったのかもしれない。


それにしてもスパイ冒険活劇部分は浮いている。満州国外交部在任中の杉原はかなり「怪しい」調査活動に従事してはいたのだろうが、なんか無理にアクションシーンを作ろうとしたように感じてしまった。語学と智恵を使いこなし、地道な情報活動に従事していることだけを描いても客は飽きてしまうのだろうが(私は飽きないけど)。東プロイセン在任中にドイツのソ連侵攻を察知するあたりもなんかこう、とってつけた感が否めない。スパイ物としてやるなら、家族の描写なんか割愛してもいいくらいだと思う。


リトアニア赴任後にユダヤ難民が出て来るあたりからは、欧米でよくあるナチス物に匹敵する描写があって感嘆を禁じ得なかった。ポーランドを蹂躙し、街に進駐してくるドイツ軍戦車や兵士の描写は迫力があったし、なんといっても逃げ損ねたユダヤ人がドイツ軍(SS?)に虐殺されるシーン(工場の一角に追い詰められたユダヤ人たちが、ドイツ軍将校に「立て!伏せろ!」という指示を繰り返し出され、従っても従わなくても虐殺される)はかなりよくできていた。邦画でもこんなシーンが撮れるのかと驚いてしまった(あまり観てないからかもしれないけど)。


途中からずっと、自分ならこの映画をどう撮るかということをずっと考えていた。諜報活動部分は味付け程度にしてばっさり切り落とし、ユダヤ難民側に準主役級の俳優を入れる(杉原のビザで救われ、後にイスラエルの宗教大臣になったゾラフ・バルファティックあたりがいいかもしれない)。オープニングは大臣室のいすにふんぞり返るバルファティックが、「この男を捜し出せ」とでも吐けば(吐いてないだろうけど)いい。ポーランドからのユダヤ難民の苦難の道はもっと描く余地があるだろうし、杉原のビザ発給に至る葛藤や外務省とのバトルもまだまだ細かくやれると思う。エンディングはイスラエル訪問でいいんじゃないか。とまで書いておいて、なんとも陳腐な顕彰映画ができるなぁと思った。映画に満足はしていないけれど、この人物を描くのは実は結構難しいと納得した。


構成という意味で良かったのは、「紙切れ一枚が人の運命を翻弄する」というメッセージが明確だったところだろう。満州時代の活動の結果、杉原はソ連からペルソナ・ノン・グラータの宣告を受け赴任の道を閉ざされる。ユダヤ人たちは紙切れ一枚のビザを求めて領事館に殺到する。国境や外交、国籍という権力装置が「一枚の紙切れ」で人を翻弄するという伝え方は非常にわかりやすく、印象的だった。


その他細かい点。


唐沢寿明の英語は素晴らしかったが、杉原の真骨頂はやはりロシア語。台詞丸覚えでも唐沢にロシア語で演じさせるのはきつかっただろうと考えるといたしかたないが、どうも英語でやられると興ざめだったところもある。


終盤、ソ連軍の捕虜収容所で妻・幸子が「終戦なんですね」とつぶやいたのに対し杉原が、「いや、敗けたんだ」と応じるシーンも良かった。杉原の悔しさを表すいい場面だったし、我が国で一貫して「敗戦」ではなく「終戦」が用いられているという経緯に自覚的だったんだとも思う。


再会シーンが赤の広場というのはいただけない。実際、杉原がモスクワに行きたがっていたのかどうかよく知らないのだけれど、ここはやはり史実に忠実であって欲しかった。


カウナスの教会で杉原が十字を切るシーンが2度描かれていた。彼がクリスチャンであったという史実を暗示するいいシーンだったが、他の場面でももう少し盛り込んで良かったのではないだろうか。そのキリスト教人道主義こそが彼にビザを書かせたのだから。


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