人文科学の研究動員

戦前・戦中期における人文・社会科学研究体制の包括的研究書である『戦時下学問の統制と動員―日本諸学振興委員会の研究』の第5章「人文科学の研究動員」を読みました。当初は自然科学中心だった研究費の配分対象はなぜ人文・社会科学にも拡充されていったのか?そこには「国体明徴」ひいては「国家有用」という目的意識が明確に存在していたのです。


  • 前史


1940年以前の段階で人文・社会科学への研究助成として重要な位置を占めていたのは文部省精神科学奨励金日本学術振興会による研究助成でした。前者は1929年に文部省により交付開始され、その目的は「国体観念の明徴に資するため日本および東洋の精神文化に関する研究を奨励する」ことにありました。同奨励金は特に、哲学、史学、文学といった分野において「日本」「国体明徴」に資すると思われる題目にその多くが配分されていました。


また後者については、1932年の日本学術振興会設立当初から人文・社会科学も配分対象としていましたが、廣重徹も指摘するように、植民地運営や戦争遂行に資するような題目について複数の研究者が協働する「総合研究」に重きが置かれていました。前者と異なり、法学や経済学といったより実践的な学問分野にも資金が配分されていた事が特徴的な事としてあげられています。


  • 「文科諸学の研究及奨励に関する調査報告」


そのような研究環境の中で、文部官僚・本田弘人と教育学者・吉田熊次が担った日本学術振興会からの委託研究の報告書「文科諸学の研究及奨励に関する調査報告」が1940年に作成されます。同報告書は1939年に設立された科学研究費交付金の配分対象を人文・社会科学研究に拡充するか否かを判断する上での基礎資料になったと考えられると筆者は指摘します。その中では、


・本邦における人文科学の研究は、之を自然科学のそれに比較して不振の状態にあるのではなからうか


・従来の人文科学に関する研究には古典的歴史的なものが多く、現実問題に関する研究は少なくあるいまいか


・研究題目を見ると年々類似ものが少なくない


という問題意識があげられた上で、人文・社会科学研究に対する研究費配分の実態や研究題目における「具体的研究」「歴史的研究」あるいは「理論的研究」の割合が定量的に分析されます。特に後者について各分野における「具体的研究」の少なさが明らかになる一方で、必ずしもそのような「極めて現実的な当面の実際問題」にかかわる研究はないわけではなく、またそのような研究を促進していくべきとの主張がなされるのです。それは言葉を変えれば、「問題を解決するための道具的合理性に貫かれた政策学・技術学としての有効性を追求すべき」(筆者)との方向性を示したものであったとも言えます。


  • 人文・社会科学研究への科学研究費交付金の配分へ


上記報告書も一助となり、1943年度からは科学研究費交付金の配分対象に人文科学部門(法律学政治学、哲学・史学・文学、経済学)が含められるようになります。また1943年に閣議決定された「科学研究ノ緊急整備方策要綱」において学術研究会議の機能強化が決定され、その一環として同会議には人文科学分門が設置されることになります。同会議は科学研究費交付金の配分審査も担っており、この時期に置ける人文・社会科学研究への研究費配分について大きな力を持っていました。


人文科学部門における研究動員の実態は史料が見つかっておらず必ずしも明らかではありません。しかし、文部省精神科学奨励金の設立当初の目的が「国体明徴」に留まっていたのに対し、科学研究費交付金の配分対象が人文・社会科学に拡大される頃になると「国家有用」「研究動員」といったより具体的・課題解決的な方向性が打ち出されていきます。人文・社会科学もまた、研究費の配分という文脈では、戦争への動員の一端を担っていたのです。