零戦から新幹線まで

映画「風立ちぬ」の主人公・堀越二郎零戦の開発者としても有名ですが、同様に零戦の開発に携わり、戦後は鉄道畑に転じて新幹線の開発に従事した研究者・松平精という人物が居ます。戦中・戦後と一貫して「機械振動」の分野に携わり、研究の遅れから招いてしまったパイロットの死を乗り越えて研究を続けた一技術者の回想を読みました。



松平精「零戦から新幹線まで」『日本機械学會誌』77(667), 1974, pp.624-627
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1940年に制式採用された零戦ですが、その後も各種技術改良は継続して行われていました。性能要求を満たすために極限まで軽量化が図られていたこともあり、同機の耐久性能には常に問題がつきまとっていたからです。特に深刻だったのが「フラッタ(翼振れ)」と呼ばれる振動の問題でした。1941年4月17日、下川万兵衛大尉搭乗の零戦二一型百三十五号機において、訓練飛行中の急降下の際に主翼と補助翼の複合フラッタにより空中分解・墜落するという事故が発生、大尉は殉職するという悲劇が起こります。


当時既に海軍航空技術廠においてフラッタ研究の第一人者であった筆者は事故原因究明のため、実物と出来るだけ近い主翼模型を用いて風洞でのフラッタ試験を行うことにします。当時フラッタが発生する限界速度を測定する風洞実験を行うのは一般的ではなく、過去の限られた試験の結果から得られた統計的な係数を機体の実測値に掛けて概算していたに過ぎませんでした。筆者と助手の田丸喜一氏は精巧な十分の一主翼模型を作成し、風洞実験を開始。事故発生からわずか2ヶ月で原因の特定と再発防止策の立案を成し遂げます。筆者は一連の事故対応を通じて、以下のように回想しています。

技術というものが、たとえ研究の分野であっても、いかに真剣なものであるか、また、安全のためには細心、周到な注意が必要であるか、を肝に銘じて教えられた。そして、この事故に対し深く責任を感じてどんな懲罰をも覚悟していたにもかかわらず、何のおとがめもなかったのみか、多くの上司、先輩からかえって激励されたことは、まことに感激のきわみであった。ほんとに海軍というところは働きがいのあるところだと思った次第である。


戦後、筆者は国鉄の鉄道技術研究所に入所、飛行機開発の経験を生かして鉄道車両の振動研究に従事する事になります。1947年に7月に山陽本線光〜下松間で発生した脱線事故において、筆者は零戦のフラッタに似た振動により事故が起きたのではないかと推測します。この事故から電車の振動を最重要課題に設定した筆者は、模型実験を行うことで電車の振動に起因する車体の蛇行動の解析を進めていきます。これはまさに、かつて零戦の事故原因究明時に行った風洞実験を彷彿とさせるものでした。


模型実験による蛇行動の解析はその後大きな成功を収め、最終的に実物大の車両を載せて300km/hの速度で走らせる事のできる試験台までも開発されます。東海道新幹線の建設にあたって、210km/hでの商業運転を行う新幹線の蛇行動防止が大きな課題の一つとなりましたが、筆者は同時期に実用化されていたコンピュータによる解析と試験台による解析とを併用して高速走行時の走行安定性を徹底的に追及していきました。零戦開発時における失敗に端を発した模型実験の経験の蓄積が、戦後になって新幹線を建設する際に大きく役立ったのです。



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