「飛行機の誕生と空気力学の形成―国家的研究開発の起源を求めて―」

零戦を開発した技術者・堀越二郎を主人公にした宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」が公開されました。そこで本blogではこれを機会に、航空技術開発に関する科学史の文献をいくつか紹介していきたいと思います。宮崎監督が「評伝を作るつもりはなかったので何も調べなかった」と述べているように、映画は映画、史実は史実で楽しむのが粋というものかもしれません。しかしながら、「零戦といえば堀越二郎が生みの親」という一般的なイメージに反して、戦前・戦中期における航空技術開発は様々な分野にまたがる多くの科学者・技術者の知見が集積されていく国家的一大プロジェクトでした。まずはその一端を研究した科学史家による本を紹介したいと思います。数多の史料にあたり、空気力学の発展過程を微に入り細を穿って記述した本書は非常に読み応えのある本です。読了した暁には、航空技術というものの幅の広さと深さ、そして幾多の科学者・技術者の奮闘が読者の心に刻まれることでしょう。




  • ここに注目!?日本における空気力学の受容と発展〜谷一郎の業績〜


第7章においては、空気力学の日本における受容と発展が語られています。中心となる人物は谷一郎、帝国大学の航空学科を卒業し、駒場にあった航空研究所で教員をしていた人物です。彼の業績は大きく二つに分けられます。一つは各国の空気力学に関する論文を網羅的に入手し、抄録を作成し、雑誌に投稿していたことです。明治期以降急速に西洋の科学を導入したものの、日本における航空関連の科学技術の基盤は欧米に比べて脆弱でした。そういった背景の中で、零戦といった形で最終的に欧米に伍する航空技術開発を成し遂げられたのは、留学や文献輸入を通じた海外の科学の急速な移植が要因の一つでした。1934年の日本航空学会設立以降1940年までの間、谷はその学会誌に計343本の論文(英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語等々)の抄録を投稿しています。対象とする論文は幅広く空気力学に関するもので、海外における空気力学分野の知見の日本への導入に大きく貢献しました。


もう一つは層流翼の開発です。乱流の発生を防いで飛行機の高速化・安定化を実現するために翼断面をどのような形にすべきかというテーマは、1930年代の空気力学分野において大きな課題の一つでした。友人であり川西航空機に勤めていた技術者・菊原の度重なる「激励」の結果、谷は空気力学研究の最先端とも言える層流翼の開発に着手し、海外からの情報流入が限定的な中で欧米と同水準の層流翼の開発に成功します。戦中に層流翼を実装していたのは例えば米軍の戦闘機P-51ムスタングでしたが、谷の開発した層流翼もまた紫電紫電改といった大戦末期の戦闘機に装備されていきます。無論、層流翼に結実する谷の業績は必ずしも彼一人の手によるものではありませんでした。海外の文献を購入したり風洞を建設したりする費用の国家からの支弁、テーマを小分けにした上で門下の学生に研究させる体制、コンピューターがない時代に層流翼の形状を研究するための大量の計算を担った計算助手たち・・・材料、燃料、形状、エンジン、空気力学、操縦士の生理的心理的状態といった様々な要素からなる航空工学の中で、空気力学一つだけとってみても大量の物的・人的資源が投入されていた国家的一大プロジェクトだったのです。


  • イギリスにおける空気力学の形成と発展


本書の主要部分は、1章から6章にかけての1900年代前半のイギリスにおける航空技術開発、特に空気力学に関する詳細な検討です。筆者はこの分野を対象とした理由の一つとして、史料の豊富さを指摘します(同時に日本における史料の少なさに慨嘆してもいます)。イギリスでは1908年に政府の下に航空諮問委員会が設立されます。ライト兄弟の初飛行からわずか6年のことでした。科学者・技術者で構成されていたこの委員会、及び下部の小委員会における議論は極めて詳細に記録されています。筆者は、科学者と技術者の協力、理論研究の役割と効用、実験装置としての風洞の確立、研究計画と技術開発の関係、技術革新の条件、研究活動と制度、国際比較といった科学史上の問いに答える上でも史料の豊富さは大きな役割を果たすと意義づけた上で、空気力学の発展過程を詳細に記述していきます。


その全てをここで要約することはしませんが、風洞の例一つとってみても、その研究過程は波乱に満ちています。第2章で詳述されているように、実機を縮小した模型を用いて行われる風洞実験から得られるデータと実機から得られるデータの齟齬は技術者、科学者、実験者を巻き込んだ論争に発展しています。風洞派と実機派が互いに実験の不備を批判し合いつつも、イギリスにおいてはそれが新たな理論の生成に昇華する流れにはなりませんでした。この問題に直面して新たな理論の創出に大きな役割を果たしたのがドイツの研究者プラントルだったのですが、その知見がイギリスに受容されるまでには当時の国際情勢との兼ね合いもありしばらく時間がかかることになります。この過程はまさに、科学や技術は直線的かつ合理的に「発展」するわけではなく、様々な理論や実験結果が競合して科学や技術の「外部」の影響も受けつつ変化していくという科学の一側面を象徴していると言えるのではないでしょうか。


  • 飛行機、夢、国家


筆者は冒頭で、イギリスにおける空気力学研究者の一人、B・メルヴィル・ジョーンズが国立物理研究所の空気力学部門で研究するための奨学金を獲得した時の言葉を引用しています。

きっと奨学金をもらえることになりそうです。実現したら夢のようです。ケンブリッジよりもさらにいい。・・・ものすごくわくわくしてます


ジョーンズ、そして堀越のように空にロマンを感じていた研究者は世界中にいました。そしてその誰もが、飛行機の有用性を認識した国家による開発体制に多かれ少なかれ取り込まれていった・・・戦前の航空機開発とはそういう運命を背負わされていたといえるのかもしれません。



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