「科学者の自由な楽園」が国民に開かれる時―STAP/千里眼/錬金術をめぐる科学と魔術のシンフォニー

現代思想2014年8月号-特集・科学者 科学技術のポリティカルエコノミー』に掲載された中尾麻伊香さんの論文を読みました。理研という「科学者の自由な楽園」は、国民との危うい関係の上に成り立っていたとも言えるのではないでしょうか。


中尾麻伊香「「科学者の自由な楽園」が国民に開かれる時―STAP/千里眼/錬金術をめぐる科学と魔術のシンフォニー」『現代思想』2014年8月号所収



超能力者・御船千鶴子、そしてその「能力」の科学的な裏付けを目指した東京帝大助教授・福来友吉、さらにはもう一人の超能力者・長尾郁子の出現により、明治末期に一大ブームとなったのがいわゆる千里眼事件でした。透視や念写といった超能力を前にした山川健次郎、中村清二、石原純といった著名物理学者たちは、千里眼は詐術であるという疑いを持ちながらも、あくまでも科学的な実験によって真偽が判定されるべきだという態度をとりました。実験にこだわり歯切れの悪い科学者たちに対してメディア≒国民はしびれを切らし、「一にも実験二にも実験とは今日の学風也。故に事実は先立ち研究は後ろ、学者の事実を認識するの速度、到底実務家のそれに追究する能はざる(1910年1月5日付読売新聞朝刊)」といったような批判を繰り広げます。千里眼事件の終焉をもたらした長尾郁子の死に際しても「千里眼及び念写は嫉妬深き一部学者の非科学的実験により世に葬られん(1910年2月28日付東京朝日新聞)」という痛烈な一文が掲載されています。千里眼事件は単なる科学による非科学の追放ではなく、厳密な科学的判断に拘る科学者と千里眼という摩訶不思議な超能力を信じたい国民との間の溝を象徴するものだったのです。

  • 水銀還金実験


物理学の大御所・長岡半太郎が水銀から金を取り出す実験を試みていたことはあまり知られていません。1924年のNature誌の論文で水銀還金の理論的可能性*1を予告していた長岡は同年秋に公開実験を含む報告会を行い、金の発見を発表します。例えば時事新報の記事で「学界の権威を網羅した財団法人の理研でありその発見指導者がこれも世界的に有名な長岡半太郎氏なので、果然学会の一大驚異となった」と大々的に報道されたように、「現代の錬金術」としての長岡の業績は本人や理研の「権威」に依存してもいました。このようなセンセーショナルな報道がなされた背景には、理研所長・大河内正敏の方針があったと筆者は指摘します。「科学者の自由な楽園」としての理研を主導した大河内は、国民の支持を得た基礎科学の振興が国防に寄与するとの信念も併せ持っており、基礎科学に対する国民の支持を獲得しようと広報にも重点を置いていたのです。


長岡の実験結果は誤りであったものの、当人がそれを認めることは生涯ありませんでした。また科学界の重鎮であった長岡を批判する科学者は、科学ジャーナリストに転身していた石原純をのぞいて皆無であり、長岡・理研による「過ち」は訂正されることなく流布し続けたのです。

  • 「人工ラヂウム」実験


戦前の理研にまつわる広報においてもう一つ取り上げるべきものとして筆者が挙げるのが仁科芳雄による「人工ラヂウム」実験です。サイクロトロンの建設資金獲得のために奔走していた仁科は、宣伝活動にも積極的でした。サイクロトロンを用いて生成した放射性物質ガイガーカウンターを近づけて音を鳴らすというある種の「魔術」を宣伝手法として活用していた仁科、そんな彼の研究室はメディア上で「魔の実験室」と形容される程でした。このような仁科の手法がもっとも象徴的な形で現れたのが、紀元二千六百年記念理研講演会でのことでした。会場の九段下・軍人会館に入りきらない程の聴衆が集まった中で仁科は、「人工ラヂウム」を人間に飲ませて「放射性人間」を作るという実験を敢行します。ラジウム溶液を飲んだ実験台にガイガー・ミュラー計数管をかざすと機関銃のような音がし、観衆は仁科の「魔術」に酔いしれることになります。


実際に仁科が用いていた物質はサイクロトロンで加速された重水素核のビームを岩塩に照射して得られる放射性ナトリウム24のことであると考えられます。仁科はこの物質を聴衆にわかりやすく魅力的に伝えるために「人工ラヂウム」と呼んでいたのではないかと筆者は推測しています。仁科の中では科学的な裏付けがあった実験であり、その種明かしもおそらくなされていたでしょう。しかしメディア・聴衆の目に焼き付いたのは公開実験での「魔術」を通じて出現した「放射性人間」だけだったのです。

  • 科学者の自由な楽園とは


筆者はこれら3つの事例の目的の違いを指摘します。千里眼事件にまつわる検証実験が非科学と科学を区別するために行なわれたのに対し、仁科や長岡の公開実験は科学研究の有用性をセンセーショナルにアピールするためのものでした。大学とは違って教育の義務がない研究者集団・理研にとって国民は研究資金を得るための間接的なスポンサーであり、理研の科学者たちはその国民を前にして「魔術師」のように振る舞ったのです。科学であると同時に魔術として振る舞うという渾然一体さのもとに成立していた科学者の自由な楽園・理研・・・STAP細胞事件はその楽園に終わりを告げるものだったのかもしれません。

中尾さんの論文が所収されている現代思想2014年8月号には、隠岐さや香さんの論考「18世紀科学における「公共の福祉」と社会—パリ王立科学アカデミーと機械仕掛けの王」も掲載されています。そちらの紹介はえめばら園(http://d.hatena.ne.jp/emerose/20140801/1406883121)をどうそ。


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*1:水銀は原子番号80、金は原子番号79であるため、80の陽子を持つ水銀から陽子を一つはじき出せば79の陽子を持つ金に変わるだろうというもの。