朝鮮銀行―ある円通貨圏の興亡

貧弱な国力の日本が、日中戦争から八年間も戦争を続けることができた背景には、日銀券を中心にして、周辺に鮮銀券と台湾銀行券、さらには満州中央銀行券といった植民地通貨を配して障壁とし、戦争中には占領地に設立した中国連合準備銀行、中央儲備銀行などの通貨で、現地の軍事費や開発投資、経営費用を賄うという巧妙な金融機構があった。軍需物資だけではなく、通貨も資金も「現地自活」にしたのである。


戦前日本の大陸進出、それは武力の戦争であると同時に経済・金融の戦争でもありました。1909年に設立された朝鮮銀行は通貨覇権の獲得や軍費調達に大きな役割を果たし、日本の大陸進出を側面から支援していきます。36年に渡る「円の戦争」、その経過を通覧した本を読みました。


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1876年に結ばれた日朝修好条規、その付録第七款には日本の紙幣や補助貨幣の朝鮮国内での流通を認めさせる規定がありました。列強に先んじて朝鮮の金融政策に介入することに成功した日本は、第一銀行の進出等を通じて金融面での半島進出を本格化させていきます。そして1909年には朝鮮銀行(当初名称は韓国銀行)が設立されます。設立への大きな駆動因になったのが「植民地銀行障壁論」でした。内地で流通している日銀券を幅広く半島、ひいては大陸でも流通させると、それらの地域における経済変動が通貨価値にも影響を与えることが懸念されたため、通貨価値の変動に与える経済の影響を緩衝するために植民地には植民地独自の通貨発行権を持つ銀行が必要とされたのです。


第一銀行さらには朝鮮銀行の設立当初段階においては、日本は必ずしも朝鮮の金融政策決定権を完全に保持していた訳ではなく、そこでは朝鮮政府やロシアとの熾烈な通貨競争がありました。しかし1910年に日本は韓国を併合、金融政策についても朝鮮銀行法が成立し、本格的に日本主導の金融・通貨政策が展開されていきます。また朝鮮銀行は必ずしもその業務を朝鮮国内における中央銀行業務だけに限定していた訳ではなく、当時日本が進出しつつあった満州でも業務の拡大を行っていきます。1912年に出された報告書「朝鮮銀行の過去及将来」では既に、

当行にして一度び店舗を満州の地にすすめ彼我貿易の進捗及び我が商民発展の後援をなさんや、我が経済的勢力の扶植と共に当行券が日本銀行券・・・に代わりて盛に南満州一円に流布するに至らん。若し夫れ南満の経済界が一般に我が銀行券を使用するに至らんか、之れ我が経済的勢力の南満征服を意味するもの、即ち我が朝鮮が経済的に満州を併合したるものと云うべし


という大陸の「経済的統一」を目指す朝鮮銀行、ひいては日本の壮大な野望が示されています。その後朝鮮銀行は、日本で対外銀行業務を一手に引き受けていた横浜正金銀行との縄張り争いや、銀本位制を維持せんとする中国政府との熾烈な貨幣競争を闘っていくことになります。時に軍の支援も得つつ、また時には恐慌で経営が危ぶまれて日銀特融を受けながらも、朝鮮銀行は大陸への進出を拡大させていきます。1918年のシベリア出兵の際には、軍の進出に呼応して大陸内部に多数の支店を開設し、満州の金融覇権をも視野に収めていったのです。


1931年に満州事変が勃発した際には、関東軍の軍費調達に大きな役割を果たします。それは鮮銀券が本格的に満州で流通するための足がかりになった一方、同地では依然として銀本位制に基づく法幣が多数流通していました。発行額が急増したにも関わらず兌換性が低かった鮮銀券はインフレの一途をたどり、大陸での通貨戦争には敗北寸前まで追い込まれます。そこで日本政府が巻き返しのために画策したのが中国連合準備銀行の設立でした。中国側の銀行や政府機関からも出資を募り、新たに大陸で安定した通貨発行基盤を持つ銀行を作ることにしたのです。しかしそこでもなお、朝鮮銀行の存在感は「軍費調達」という文脈において色あせることはありませんでした。「預合い契約」を締結することにより、中国連合準備銀行-朝鮮銀行-日本銀行という金融ルートが成立し、朝鮮銀行は大陸における軍費調達において大きな役割を果たすことになります。


預合いとは、朝鮮銀行北京支店と連銀(中国連合準備銀行)がそれぞれ相手の銀行に預金口座をつくり、日本側が軍事費などの支出に連銀券が必要になったら、朝鮮銀行北京支店にある連銀の日本円勘定に貸記すれば、連銀もこれと同金額を自行にある朝鮮銀行の連銀券預金口座に貸記することで連銀券を随時簡単に引き出す仕組み」でした。要するに互いの口座に名目上の支出が計上されるだけで実際に現金が動くことはなく、無尽蔵に支出可能な「架空預金」があるようなものでした。そしてさらに巧妙だったのは日銀との関係でした。日銀にあった「臨時軍事費特別会計」からは、朝鮮銀行の軍費支出の裏付けとなる円建ての送金がなされていましたが、この軍費支出のため鮮銀券発行の裏付けとなる円建ての送金は、支出後すみやかに国債購入によって再び日本に還流するという手続きがとられていました。通貨発行の裏付けとなる円預金が朝鮮銀行に蓄積することはなく、大陸の日本軍は明確な円の裏付けなしに多額の軍事費を得ることに成功したのです。石渡荘太郎・南京政府経済最高顧問はその複雑かつ巧妙な仕組みを評して「戦争は紙でするものだ」と言ったほどでした。


太平洋戦争が勃発すると、朝鮮銀行はその他日系の銀行は大陸にある「敵性資産」の接収を開始し、それを裏付けに通貨発行・軍費調達をより一層進めていきます。しかし1945年には終戦朝鮮銀行北朝鮮において接収された資産以外を全て清算し、36年に渡る日本の大陸進出経済戦争の尖兵としての役割を終えることになります。円に「裏付けられた」植民地銀行による通貨発行と通貨戦争、そして通貨支配・・・それは日本の大陸進出を影で支える重要な役割を果たしていたのです。



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