日本の起源

しばしば誤解されがちなのですが、歴史研究者とは単に過ぎ去った時代を骨董品のように修復し、愛でていればよいという仕事ではありません。むしろ細かくあえかにではあっても、今日のわれわれへと確かに続いている過去からの糸を織り直すことで、<現在>というものの絵柄自体を艶やかに変えてみせることにこそ、その本領がある。本書は、粗っぽい力技で「中国化」なる雑駁な模様を編み出すのが精いっぱいの駆け出し職人である私が、「江湖」というひとすじの糸から数々の繊細なイメージを織り上げてきた東島さんに弟子入りして、いっしょに二〇〇〇年分の日本史を仕立てなおした過程の記録です。(本書まえがきより)


日本の起源 (atプラス叢書05)
東島 誠 與那覇
太田出版
売り上げランキング: 890


気鋭の日本史学者二人による「日本の起源」を正面から問いなおす知的格闘を余すところなく伝えてくれる良書。


パーソナル(属人的)/インパーソナル(属制度的)の間での日本の統治構造の揺れ動き、、ロラン・バルトの言う「空虚な中心」としての天皇(あるいは天皇制)の成立と変遷、民衆に対する権力のアカウンタビリティの確保の仕方、一つの国に見えた日本に内在してきた権力分立体制、人為的な構造を自然で所与のものと考えるメンタリティ・・・各時代における日本史の個別研究をこういった概念の下で位置づける、あるいは逆に日本史の個別研究からこれらの普遍的な概念(特質)を導きだす・・・つまりは、日本の統治構造・社会構造における普遍的な特質を捉えんとする試みがなされています。その試みは非常にエキサイティングな挑戦である反面、史料から読み取れる歴史的な事実を過剰に逸脱してしまう危険をはらんだ営みであるのもまた確かでしょう。しかし本書では、対談形式を通じた二人の歴史学者の絶妙な綱引きによって、その危険が避けられていきます。


338ページで2000年を語り尽くすというのは歴史学の専門的な研究書のあり方からすればあまりに詰め込み過ぎなのかもしれません。しかし私自身は、当初掲げられた問題意識に沿って、二人が持つ歴史学の先行研究に関する膨大な知見が鮮やかに整理されているという印象を持ちました。また対談形式であるにも関わらず注釈が丁寧に付けられており、私のような日本史の素人であっても関連文献や概念に関する情報を簡便に得ることができ、議論についていくことができました。現在の日本の統治構造を形作った起源はどこなのかという問いに対しては、明治維新1940年体制、総力戦体制、あるいはGHQ統治に端を発する戦後民主主義が起源だという指摘は常々言われることです。それは確かにここ100年程度の出来事のつながりを見ればそう言えることもあるのかもしれませんが、本書はより広範な期間を対象とし、その間に起きる出来事が「相互には直接的な因果関係を持たないながらも構造的には同じものとして捉えられる」という意味での普遍性(権力分立制や空虚な中心、あるいはパーソナル/インパーソナルといったようなもの)を見いだそうとしています。


素人なりに読み終えたところで、気になった箇所をあげてみます。古代編〜近世編あたりまではあくまでも統治機構内部における「空虚な中心」の役割、「権力分立制」の実状が描かれており、その議論は非常に明快です。しかし近世編以降は「民衆」や「亜エリート」といった新たな主体が「統治される側」としてはっきりと描かれ、議論の対象が「統治機構内部における普遍的特質」から「統治する側とされる側の関係における普遍的特質」に移っています。この「対象の拡大」に対して、適用される概念あるいはそこから導きだされる概念は一貫して変わらないのですが、それは果たして妥当なのでしょうか。


もう一つ気になったのは先行研究の整理の仕方です。日本史を専門としない私の場合、本書であげられている個別の日本史研究のほとんどは初めて目にするものでした。本書ではそのような一連の研究が「日本の起源」、「日本の統治構造が持つ普遍的特質」といった主題に沿って鮮やかに整理されている訳ですが、それはあくまでも先行研究の整理の仕方の一つに過ぎないのではないかなとも感じました。2000年というスパンでその間の主要かつ意義のある研究を先行研究として整理するという営みが本書以前にどれだけ行われてきたのかはわかりませんが。


また、特に戦後編については、引用される個別の研究や書籍の分野が爆発的に拡大していて、議論をうまく構造化して読む事が出来ませんでした。ポップカルチャー表象文化論、批評等を幅広く参照して議論が行われている様を見れば、この二人の学者が持つ膨大な知識に対する畏敬の念を抱かざるを得ないのは確かです。しかしながら近世編あたりまで行われていた良質な個別の歴史研究を丹念に整理したソリッドな議論が、戦後編では少々拡散気味になっていたとも言えるのではないでしょうか。このあたり、現代史の蓄積の不足によるものなのか、情報が膨大なためなのか、はたまた対談している二人がまさにその時代を生きていることによるのかは定かではありません。



疑問点も含め少々長くなりましたが、多くの歴史研究を踏まえつつ大胆な議論を展開し、かつそれを日本史を専門としない読者にも説得的に伝えるという二人の試みは十分に成功していると思いますし、私自身知的興奮を伴って楽しみながら読み進める事が出来ました。