ユリイカ「クマ特集」

いよいよ明日19時に迫ったユリイカ2013年9月号『クマ特集』ハングアウト読書会!所属や所在地を問わず、ネット環境とマイクとウェブカメラさえあれば地球の裏側からでも参加して頂けます。詳細はfacebookのイベントページに記載されていますので、「残暑厳しい夜にクマと戯れて暑さを忘れたい!」、「人気が出て調子に乗っているクマモンに一言もの申したい!」、「イヌとクマを間違えて恥をかくことがないようにしたい!」という方は是非是非お気軽にご参加ください(facebookのアカウントがない方はこの記事に一言コメント頂くというのでも構いません)。





さて、一応主催者となっている身として一通り掲載されている論考を読みました。全部紹介するのは手に余るので、一つだけ印象に残った論考を紹介してみます。タイトルは「ジョン・アービングとクマ―ロマン主義的な動物小説からの逸脱」(斉藤英治)。本特集でのクマの扱いは「畏敬すべき自然の象徴としての熊」、「人間の表象や文化の中で絶大な存在感を誇る熊」、「神話化される熊」みたいなものが多いのですが、そういった中にあってこの論考は、アメリカ文学における怠惰なクマたちを愛のこもった目線で紹介しています。筆者に言わせればそれは「脱神話化されたクマ」だったのです。


1942年に生まれたアービングは、「熊を放つ」、「ガープの世界」、「ホテル・ニューハンプシャー」といった小説の中にクマを登場させますが、そこに現れるクマたちは神秘的、自然的な存在ではなく、情けなくて卑小な存在として描かれます。たとえば「ガープの世界」に登場する"売れないサーカス団のうつ病のクマ"は、

熊は一輪車の上で重心をとり、メーターにつかまって身体を支えながら、ものうげそうにペダルを踏んだ。熊がメーターの小さなガラス面をなめると、彼女がつなを引っぱり、熊がにらむと、また引っぱった。横着そうに熊は、こちらに、あちらにとペダルを踏み始めた。観客がいると思って、やる気になり、いいところを見せようとしているかのようだった。


というように描かれています。そこには時に人間を襲い、自然界の王者として神秘的に振る舞う熊の面影はありません。怠惰、あるいは病を患ってゆるゆるだらだら生きているクマでしかないのです。


彼の小説でクマが「怠惰で卑小なもの」として描かれる理由を、筆者はその小説の属性に求めています。リチャード・チェイスアメリカ小説とその伝統」で提示した枠組みに沿うとすれば、アービングの小説は市民社会や共同体の日常的風景を描く「ノヴェル」に属するものであり、その中では動物達もまた人間の現実にあわせてスケール・ダウンしなければならないと筆者は指摘します。


一方、19世紀アメリカ文学の特質は「ロマンス」―規定の価値観に囚われない生き方、共同体や人間社会外部に残る広大かつ強大な自然に対するロマン主義的な憧れ―にあるとされます。メルヴィルの「白鯨」やヘミングウェイの「老人と海」のように文明と自然の対立や自然の圧倒的な存在感を描いてきた多くの19世紀アメリカ文学の中にあって、筆者の紹介するアービングの作品は異彩を放っていると言えるのかもしれません。


自然を神秘的なものして描く1960年代のロマン主義・理想主義が尻すぼみに終わり、他方で揺るぎない社会が確立していく中で、それでもなおロマン主義的に「偉大な動物」を描く事は可能なのか?「うつ病のクマ」、「動物的な性欲を丸出しにしたクマ」の方が現実の等身大の個人の自我のあり方に近いのではないか?かつてセクシュアリティすら捨象した神秘的な存在として描かれていたクマ達は、「ホテル・ニューハンプシャー」の中では性欲丸出しのケモノとしてすら捉えられています。「下ネタが溢れる現代の世界では、人間はもちろん、動物たちの神聖さを保つのも至難の業になっているのではないか」、筆者はそう想像しています。



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