公開講演会「危機と科学」メモ、に対する岡本先生のコメント

先日更新した「公開講演会『危機と科学』メモ」(http://d.hatena.ne.jp/kosuke64/20110530/1306778499)に関して、講演者の岡本先生からコメントを頂きましたので、改めて投稿させていただきます。


岡本拓司 2011/05/31 09:26


どうもさっそくありがとうございます。私の説明がまずかったり、不足していたりした点があったと思います。いくつかコメントさせてください。


森鴎外は珍しくドイツ医学を学んだのではなく、高木兼寛が珍しくイギリス医学を学びました。ドイツ医学を学ぶのは当時の日本では主流です。


・ビタミン学説の受容は、同じ戦後でも第一次大戦後です。


ポツダム宣言受諾の経緯について鈴木多聞さんの本に多くを学びましたが、結論はだいぶ違っているのでその点お断りしておきます。


原子爆弾の2つ目に「意味があった」と主張したわけではなく、2つ目を受けて、日本側が降伏に向けてどう判断したか、という事実経過を述べました。「数学的帰納法」は安易に言い過ぎましたが、2つ目の原爆が投下され、3つ目もありうると考えるようになりました。


・専門家の箇所、質問はまず軍事の専門家にもポツダム宣言受諾やむなしと判断した人があったことを指摘されていました。彼らの判断と天皇の判断との違いを明らかにすることが大切だと思いましたので、私はそちらに答えました。天皇以外に、文官・武官両方に宣言受諾を主張した人々もいましたが、いずれも国体護持が主目的で、従来の議論を外れることはなかった点が重要でしたので、それをお話ししました。国民を守ることを理由として持ち出すことが出来たのは天皇だけであったことが重要で、この判断は専門家の意見を斥けて行われましたが、天皇が専門家ではなかったからそれができた、というわけではないです。


・話のなかでの軍事の専門家は、職位や職務によって極めて限定されており、たとえば陸軍を例にとれば大臣や参謀本部総長です。天皇との関係でいえば、その職務は、陸軍のもつ情報に基づいて天皇を輔弼したり帷幄上奏したり(要するに助言)することです。明治憲法の下では、基本的には、陸軍に関する天皇の公式的な情報源はこれらの人々です。ポツダム宣言受諾に至る途では、天皇はこれらの専門家(といってももうよろしいでしょうか)の一部の判断を斥けました。極めて異例な事態ですが、昭和天皇はときどき(といってもほかに2度程度)同じようなことをしました。


岡本拓司 2011/05/31 09:30


済みません、追加です。


昭和天皇については、宣言受諾の決意は最初の原子爆弾投下にすでにあった可能性が高いと思います。この時期の発言などの記録がほとんどないので分からない点も多いのですが。


kosuke64 2011/05/31 12:47


岡本先生


詳細なご指摘恐縮です。本エントリ内にて加筆修正させていただくと同時に、コメントをそのまま紹介するために別エントリを立てさせていただきたいと思います。

メモを元にざっくり書いたまとめですので、不十分な点が数多くあったかと思います。改めてお詫び申し上げます。


岡本拓司 2011/05/31 13:16


長々と森脇さんのサイトに書き込んで済みませんでした。かなり正確に紹介していただいてありがとうございます。まだ専門家の話には十分に答えていない気がしますが、明治天皇が法的にも技術的にも医療の専門家ではなく、侍医その他の医師が専門家であったことはまあいいですね。昭和天皇は軍事には詳しいが専門家ではなく、専門家の助言を受けて決断する立場にあります。実際には天皇自身が決断することはなく、それをよくわきまえているのが立憲君主制の君主の「専門家」ですが、昭和天皇は専門的な君主であったにも関わらず、終戦に至る決断ではこの道からも外れた、ということになるでしょうか。


kosuke64 2011/06/02 01:49


岡本先生


返信が遅くなり申し訳ありません。


専門家について私等が気にかける経緯として、先月行われた葉山・総合研究大学院大学におけるCollins & Evans の Rethinking Expertise(http://amzn.to/mRrmOa)読書会にて「専門家」とは何か、を議論したということがありますので、一応申し添えておきます。


繰り返しになりますが、私の拙いまとめに対して詳細なコメントを頂きありがとうございました。