Wittgenstein's Aeronautical Investigation

宮崎駿監督といえば、その初期の作品「ルパン三世カリオストロの城」でも有名です。作品中欠かせない小道具といえば伯爵が搭乗するオートジャイロですが、その基礎理論にはなんと希代の哲学者・ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが関わっていました。分析哲学の歴史に偉大な一歩を刻んだ彼は、航空工学の分野においても確かに足跡を残していたのです。航空工学者としてのウィトゲンシュタイン、その業績を追った論文を読みました。

Ian Lemco, "Wittgenstein's Aeronautical Investigation", Notes & Records of the Royal Society, 61, 2007, pp.39-51
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ウィトゲンシュタインと航空工学

ウィトゲンシュタインの父カール・ウィトゲンシュタインは製鉄業で財を成した実業家でした。息子にも跡を継いでほしいという父の願いもあり、若き日のウィトゲンシュタインは技術系の学校で教育を受けていきます。~~ドイツ・~~リンツのレアルシューレ、ついでシャルロッテンブルク工科大学（現ベルリン工科大学）で機械工学を学んだ彼は、最終的にマンチェスター大学工学部へと入学します。

当時の航空工学における課題の一つは軽くて高出力なエンジンを開発することでした。凧を題材に空気力学的な研究課題に関心を持っていたウィトゲンシュタインでしたが、次第に航空機用エンジンの改良に軸足を移していきます。本論文では彼の業績の集大成の一つとして、1911年に取得した特許について詳しく解説されています。それはプロペラの中の空洞で空気と燃料を混合し、プロペラ翼先端に取り付けられた燃焼機関中で爆発、排出することで推力を得るという仕組み（tip-jet, あるいは翼端噴流式と呼ばれる）の基礎となるものでした。特に、プロペラ中央から空気を取り込み、プロペラ自体が回転して発生する遠心力を用いる事で混合気を圧縮するという構想が特徴的であったとされています。

（ウィトゲンシュタインが取得した特許中の図。a1から取り込まれた空気が燃料と混合され、翼端Cから排出される。※論文より引用）

早すぎた理論、そしてオートジャイロへ

しかし、彼の取得した特許は必ずしもすぐに実用化に繋がるものではありませんでした。プロペラ内部における圧力の計算、プロペラの形状、推力として十分な圧力が得られるか等々の実用化にあたっての課題を解決する程の数学的基礎がまだなかったのが一因です。航空工学を研究していく上で数学の重要性に気づいていたウィトゲンシュタインは数学基礎論に興味を持つようになり、やがてバートランド・ラッセルの下で数学、哲学、論理学の研究へと移行していきます。齢23歳にして、航空工学者としてのウィトゲンシュタインはその研究に終止符を打つ事になるのです。

一方で、彼の特許は数十年を経てオートジャイロの改良に活かされる事になります。1923年にスペインのフアン・デ・ラ・シエルバによって初飛行がなされたオートジャイロは、戦前航空史の中では軍用・商業用途で存在感を持っていた機種でした。初期のオートジャイロは前方推進用のエンジンを持ち、それを動かして前進する事で機体上部に取り付けられたもう一つのプロペラ（動力なし）に風を受けて回転させ、揚力を得て離陸するというものでした。一見ヘリコプターにも見えるオートジャイロですが、実は垂直離陸をすることはできなかったのです。

（ファン・デ・ラ・シエルバが開発したオートジャイロ-wikipediaより）

このようなオートジャイロに垂直離陸を可能にさせた技術の一つが、ウィトゲンシュタインが考案したプロペラ翼端に装着されるtip-jetでした。水平方向推進用のエンジン出力の一部を機体上部に装着されたプロペラの先端から噴出させてプロペラを回転し揚力を得ることで、オートジャイロの垂直離陸が可能になったのです。1940年代にフリードリヒ・ヴォン・ドブルホフが開発したWNF342はtip-jet機構を備えた初のオートジャイロであり、ウィトゲンシュタインの構想は30年の時を経て現実のものとなったのです。「カリオストロの城」に搭乗するオートジャイロもまさにこれと同様のものであると言えます。

（「カリオストロの城」に出てくるオートジャイロ。翼端部分にtip jetが装備されている）

オートジャイロにおける動力機構はトルク効果*1を打ち消すテールローター機構あるいは二重反転プロペラ機構を装着する必要がなかったため、エンジン機構そのものの軽量化・単純化は確かに実現されました。しかし燃費の悪さや騒音の悪化もあり、フェアリーロートダイン（世界初の旅客用VTOL機）が開発されたものの商業化には至らず、以後、垂直離着陸機の歴史はヘリコプターを中心に展開していく事になります。

↓本論文でも参照されている、若き日のウィトゲンシュタインを取り上げた評伝